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ダライ・ラマ自伝 - 心に残った引用文 - the Dark Side

前回エントリ(まずはこっちに目を通してください)の続き。前回テーマ the Bright Side とは対極の、Dark Side編 - 共産主義中国政府によるチベット弾圧に関する記述箇所を引用しておきます。

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チベット基礎知識

そもそもチベットってどこ?何が問題になってるの?悲惨な歴史って?などの基礎知識については以下のサイトがわかりやすく説明してくれています。まずはご一読を。

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真実を知った上で未来をみつめる

p.367

こんな話をいつまでも書き綴るのは止めよう。わたしは仏教者として中国の兄弟姉妹を憎ませようとして書いているのではなく、人びとに真実を知ってほしいから書いているのだ。チベットの現実を知らない善良な中国人はたくさんいる。わたしは憎しみでこのような酷い事実を語っているのではない。起こったことは起こったのだ。だからこそ未来をみつめて生きていくしかないといいたいのだ。

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時系列遍歴

p.181 1957年

中国当局から、プンツォ・ワンギャルは危険分子であるから二度とチベットに来ることはないだろうと通告された。(中略)最大の理由は、ラサに来る前、カムにいたとき、中国人には加入させないチベット人共産党分派を組織した、その罪により彼は降格されチベットへの帰還を拒否されたのだとその官僚は説明した。それを聞き非常に残念だった。さらに翌年、その古い友人が地位を剥奪され勾留されたと聞くに及び、いっそう悲しくなった。最後に彼は投獄され、1970年代後半まで、公式には「無資格者」としてあつかわれてきた。それにもかかわらず、彼は誠実で、だれの目にも献身的共産主義者であった。このことはしかし、中国指導層は真のマルキシストでもなければ、すべての人のためのより良き世界に献身する人間でもなく、きわめて民族主義的な人間なのだということに、わたしを目覚めさせた。実際あの人たちは共産主義者を装おう中国大国主義者以外の何者でもなく、偏狭な狂信家の集まりにすぎないのだ。

p.233 1959年

大量のチベット難民がインドだけでなくブータンにも流れ込んでいるという報に接したのである。(中略)これらの新しい入国者から、中国はノルブリンカ離宮の砲撃につづき、ポタラ宮殿とジョカン寺院に鉾先を向け、数千人の民衆を殺傷したという報せを受けた。両建築物は甚大な損害をこうむり、チャクポリ医学校は完全に破壊されたという。この大量殺戮におってどれだけの人間が殺されたかだれにもわからなかったが、後にチベット開放戦士が入手した人民解放軍文書は、1959年3月から1960年9月にかけての軍事作戦で8万7千人の死者が出たことを確認している(この数字には、自殺者、拷問による死亡者、餓死者はいっさいふくまれていない)。

p.360 1979年

五人の代表も(チベット視察から)帰国した。彼らは、数百本のフィルム、長時間の会話テープ、編集に長く手間取った厖大な情報などを山のように持って帰った。他に、亡命している家族宛の7千通以上の手紙 -- 20何年目にして始めてチベットからもたらされた -- も一緒に。
残念なことに、使節団の「新チベット」の印象はきわめて否定的であった。涙ながらに彼らを迎える群衆の姿とともに、中国当局が無慈悲かつ計画的にわれわれの古い文化を破壊しようとした明白な証拠の数々も目にしてきた。さらに、数知れぬ、飢餓の年、集団飢餓、公開処刑、身の毛のよだつ人権の無視、少なくともそのなかには、子供たちを攫って強制労働集団に入れたり、中国に「教育」を受けに送るとか、無実の市民の投獄、強制収容所での数千に及ぶ僧、尼僧の虐殺が含まれていた。何十枚もの、瓦礫と化した、あるいは穀物倉庫、工場、家畜小舎に転用された無残な僧院、尼僧院の写真はまさに悪夢の連続であった。
しかし、この事実を前にして、中国当局は、代表団ならびに他の亡命チベット人からの抗議はいっさい受けつけないと公言したのである。われわれがチベットの外にいるかぎり、国内で行われていることに抗議する権利はないと彼らはいったという。

p.362 1979年

代表団の目には、祖国チベットの「健康状態」はひどく惨めなものに映じた。事実、チベット経済は変形され、必要以上になんでもあったが、すべての商品は中国人の手に独占されているので、チベット人にはなんの益にもなっていなかった。たとえば、以前には皆無だったところに工場がたくさん建っている。しかしそこで生産されるものはすべて中国に行ってしまうのである。しかも工場そのものは有効性だけを考えて建てられ、環境に対して当然予想される有害性は無視されていた。水力発電所にしても同じことがいえた。
農業に関して、中国側は、伝統的大麦に代えて秋まき小麦を撒くよう強く要求した。これは中国人が大麦より小麦を好むからである。その結果、集団農場政策のおかげで、一、二回の大豊作の後何年もの飢饉がつづいた。この変化によって、チベットの薄くてもろい、しかも肥沃な表土は急速に浸蝕され、畑は何キロもつづく砂漠と化してしまった。

p.365 1979年

これだけでもまだ不十分といわんばかりに、チベット文化を情容赦なく弾圧していた。たとえば、許されている歌といえば、中国調で歌う政治的賛歌だけである。本来の宗教は禁止。何千という僧院、尼僧院は冒涜された。1950年以降この破壊行為は組織的に続行されている。まず、各建物に内容目録を携えた書記が調査に来、つづいて作業員の一団がめぼしいものをトラックに満載し、中国へ搬送した。貴金属の略奪品は地金に溶解されるか国際美術市場で競売に付されて現金化され、さらに役に立ちそうな物、屋根瓦や柱など根こそぎ運び去られ、最後に地元民衆は古い社会と「堕落」した僧への「軽蔑」を無理やり示させられたのである。そしてわずか数週間のうちに残されたのは瓦礫の山という有様であった。
これら僧院に内臓されていた品々は、チベットの真に貴重な財宝であった。何百年間にわたり、人々が何世代もかけて、つねに最上のものを寄進し築き上げてきたものなのだ。それが今、すべての中国人の飽くなき胃袋の中に消えてしまった。

p.376 1981年 - 1987年

1981年から87年にかけて観光客は年間1500人から4万3000人に増加した。そしてその旅行の後でわれわれを訪ねてくれた人びとは、中国側のいう「自由」にほとんどなんの中身もともなっていないことを教えてくれた。チベット人には依然言論の自由が許されていないのだ。内密で中国の占領にはっきり異議を唱えても、公では口にしようとはしない。情報は厳しく管理され、宗教的行事も同じように制限されている。チベットは、人びとを恐怖によって服従させている警察国家だということは、今やほとんど論証するまでもない。

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中国の人口移住政策について

p.386

1980年代中頃までに、中国政府が計画的に中国化政策を推し進めていることが明らかになった。これはある人びとが秘密の「最終的解決策」と呼んでいるものである。彼らは土着のチベット人口を取るに足らないものにし、自分たちの母国での権利を喪失した少数派にしてしまうことによってこの政策を現実化しつつある。これはただちに止めるべきである。このような中国人の大量移住は、ジュネーヴ協定第四条の明白な違反である。この結果、東チベット地区では今や中国人の数がチベット人を大幅に上まわっている。たとえば、わたしが生まれたアムドも含む青海省では、中国側の統計によると、250万人の中国人に対しチベット人はわずか75万にしかすぎない。(中略)
この人口移住政策は今に始まったことではない。中国は他の地域でも組織的にこの政策を採用している。近年まで満州人は独自の文化、伝統を有する別個の民族であった。今日、わずか2-300万の満州人が東北部に残っているだけで、7500万もの中国人がその後に移り住んでいる。現在中国人が新彊と呼んでいる東トルキスタンでは、1949年に20万だった中国人が今では700万を超えている。内モンゴルの植民地化により、中国人は850万、モンゴル人はわずか250万にしかすぎない。チベット全体では、われわれの推定によると、中国人はすでに750万に達し、約600万のチベット人口を上まわっている。

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核廃棄物について

p.388

まず何よりも核兵器の生産を中止させ、さらに重要なことは、核廃棄物の投棄を止めさせることである。明らかに中国は、自国の廃棄物を処理するだけではなく、諸外国の廃棄物を輸入して金に代えようと図っている。これが意味する危険は明白であり重大だ。現世代だけでなく次世代をも放射能汚染の危険にさらすからである。しかも地域的汚染は容易に地球的規模のものになってゆくおそれがある。人口が疎らで広大な地域を有する、しかし粗末な科学技術しかもたない中国に核廃棄物を委ねることは結局その場しのぎにすぎず、はるかに高価な代償を払うことになるだろう。

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どうしてこんなことになったのか

p.411

どうしてこんなことになったのか、あの多くの善良な男女の崇高な思想が、どうしてこのように非常識な野蛮さに変形してしまったのか、わたしには説明のしようがない。また、中国指導部内の人間が、チベット民族を抹殺していいなどとどうして考えるにいたったのか理解に苦しむ。おそらく、共産主義の名において、中国国民自身が四十一年間いいがたい惨めさを嘗めてきた結果として、中国は、人間への信頼を失った国になってしまったのではないだろうか。
共産主義の行きすぎには西欧にも責任の一端がある。初めて樹立されたマルキシスト政府に対する敵意が、ある点で彼らを自衛上途方もなく用心深くさせてしまったところがある。彼らはすべてのことを、すべての人間を疑い、そしてその猜疑心は恐ろしい不幸を生み出した。なぜならそれは基本的人間の特性、すなわち他人を信じたいという人間の願望に反するからである。

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2001年 - 訳者:山際素男さんによる現状解説

p.433

1993、99年とチベット本国訪問を許された現ダライ・ラマ方法日本代表部ザトゥル・リンポチェ代表はこういっている。
「1941年生まれで、59年にインドに亡命した私は、昔のチベットをよく覚えています。たとえば首都ラサ市は昔の面影を全く失っています。ビルが林立し、商店街も総て中国人が占有し、経済面でも完全に彼らが支配しています。学校での授業も中国語、テレビをはじめとするマスメディアも中国語。中国語が出来なければ碌な仕事も与えられません。子供たちすらお寺にお詣りしたり、昔から願事を叶えてもらおうと首に下げていたお守りをつけることすら禁じられています。麻薬、アルコール類は驚くほど安く、どこでも手に入れることができ、青少年の間にその害悪は蔓延し、彼らを日々退廃させています。侵略以前3万人程だったラサ市にはその近辺地域の中国軍を合わせ40万人もの中国人が我が物顔に振舞っています。なんと中国人売春婦はすでに1万人に達しているのです。600万人チベット人口を上回る700万人中国人が全土に移り住み、15年後には2000万人を超えるだろうといわれます」
1959年の侵略時、100万から150万人のチベット人民が虐殺されたが、国際法律家委員会は、「チベットで行われたジェノサイド(集団虐殺)は、チベット人をひとつの宗教団体とみなしてこれを滅ぼそうとしたものだった」と断じている。これはナチスドイツによるユダヤ人全滅思想、政策となんら変わらないものだ。中国政府は、暴力による直接的絶滅でなく、人口の波によってチベット民と文化の痕跡を地上から消し去ろうとしているといっても過言ではない。インカやその他被植民地国、民族の悲惨な姿を思い起こすなら、何百年か前の悲劇が、21世紀の今日、我々の目の前で引き起こされ今も進行していることに慄然としない者があろうか。

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ダライ・ラマ提唱の和平五項目案

p.382 1987年

1) チベット全土を平和地帯に変える。
2) 一民族としてのチベット人の存在そのものを脅かす中国の人口移住政策の廃止。
3) チベット国民の基本的人権並びに民主的自由の尊重。
4) チベットの自然環境の回復と保護並びに、核兵器生産にチベットを利用することを止め、核廃棄物の処理場とすることの禁止。
5) チベットの将来の地位並びに、チベットと中国国民の関係についての真剣な話し合いの開始。

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ダライ・ラマ自伝 - 心に残った引用文 - the Bright Side

Comments:2

チハイロビッチ 2006-08-29 (火) 14:38

ダライ・ラマ関連本は、周りに興味があった人が多くて
その影響でそこそこ読みました。
どうでもよいですが、和歌山県の田辺市の龍神という山奥に
ダライ・ラマが亡命する際に弟子たちが、なんとか持ち出した
タントラが展示してあるちーっこい美術館があります。
なんでこんなところにそんなものが!っていう感じですが、全部ホンモノ、
なんつーか、圧巻でしたよ。
不謹慎ですが、わたしたちが生きている間に次のダライ・ラマが決まるはず、
リアルタイムでそのニュースに立ち会いたいとか思ってしまいました…。
またまた話はとんで、ブラピが出てた「セブン・イヤーズ・イン・チベット」は
中国では上映禁止になっていました。
中国がチベットを侵略したみたいに描かれてるからって。よく言うよなぁ。。。

bashi 2006-09-04 (月) 20:30

> チハイロビッチさん
> 和歌山県の田辺市の龍神という山奥にタントラが展示してあるちーっこい
> 美術館があります。

へぇーへぇー!
宗教的なつながりでそういう場所に置かれることになったのかなぁ?
チハイロ、何気に色々引き出し持ってるね。さすがです。
職変えたら? /w

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