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神との対話 - ヒトの基本的な本能は「適者生存」ではない

ニール・ドナルド・ウォルシュ著 - 神との対話3 p.359

「基本的な本能」が「生存」にあるなら、そして、基本的な性質が「悪」なら、転落しそうな子供や溺れかけたひとを本能的に助けたりはしないだろう。ところが本能のままに行動するときは、どうしようかとは考えない。たとえ、自分の身が危うくなっても助ける。したがって、あなたがたの「基本的」な本能が「生存」でないことも明らかだ。本能も性質も、あなたが何者であるかを、つまり公平と、ひとつであることと、愛を反映している。
社会的な面で言えば、「公平」と「平等」とのちがいを理解することが重要だ。平等を求めることも、平等であろうとすることも、知的存在の基本的な本能ではない。それどころか逆だ。
同一性よりも独自性を表現する、それが生きとし生けるものの基本的な本能だ。真に平等な社会の創造は、不可能なばかりでなく、望ましくもない。真の平等を、言い換えれば経済的、政治的、社会的な「同一性」を実現しようとする社会のメカニズムは、最も偉大な考えと最高の目的にまったく反している。
最高の目的とは、新たな真の自分を再創造していく機会を得るということだ。必要なのは機会の平等で、現実の平等ではない。それが公平ということだ。外部の力や法でつくり出された現実の平等は、公平を損なう
では、機会の自由は何によって創り出されるか。社会がすべてのひとに基本的な暮らしを保証し、誰もが生存ではなく自分の成長と自己の創造を追及しつつ生きられる、そんなシステムだ。言い換えれば、生存を保証する真のシステム(生命と呼ばれる)を模倣したシステムだね。

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