- 2006-08-16 (水)
- Way Of Living
モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
ミヒャエル・エンデ著
会社の先輩 takao 氏に借りた本。嫁や周りの人達の中では「あ、なんかそれ知ってるー」「小学生の時読んだ」みたいな反応が多かったものの、僕はまったく知りませんでした。こんな素敵な内容なのにねぇ。で、中でもお気に入りの、心に残った文章をここに引用として残しておきます。興味持った方はぜひ手に取ってみてくださいませ。
ただつぎのことだけを考える
四章 無口なおじいさんとおしゃべりな若もの - p.48 より引用
※道路掃除扶ベッポおじいさんの言葉:
なあ、モモ、とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。
そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。
いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。
するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。
ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。
これがだいじなんだ。
たいせつなこと
十三章 むこうでは一日、ここでは一年 - p.246 より引用
またべつの人はこう主張しました。
「子どもは未来の人的資源だ。これからはジェット機と電子頭脳の時代になる。こういう機械をぜんぶ使いこなせるようにするには、大量の専門技術者や専門労働者が必要ですぞ。ところがわれわれは、子どもたちをあすのこういう世界のために教育するどころか、あいもかわらず、彼らの貴重な時間のほとんどを、役にもたたない遊びに浪費させるままにしている。このようなことは、われわれの文明にとって恥辱だし、未来の人類にたいする犯罪ですぞ!」
モモの友だちとても、この新しいきまりから逃れられませんでした。みんなはそれぞれの住む地区にしたがって、別々に<子どもの家>にほうりこまれました。こういうところでなにかじぶんで遊びを工夫することなど、もちろん許されるはずもありません。遊びをきめるのは監督のおとなで、しかもその遊びときたら、なにか役に立つことをおぼえさせるためのものばかりです。こうして子どもたちは、ほかのあることを忘れてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。
しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
Comments:3
- akko 2006-08-16 (水) 20:29
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おおー。小さいころに読んだけど、大人になって読むのとまた違うよね。
わたしはせっかちなので、次へ次へとせかせか考えて生きてるけど、ひとつ次のことだけ考えてゆっくりと仕事をしたら楽しくなるんだね。物凄く心に残りました。ありがとう。 - チハイロビッチ 2006-08-17 (木) 14:58
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モモ、生まれて初めて自分のお金で買った本で、とても思い出深いです。
小学校の夏休みの読書感想文で3回使いました。
同じくエンデの「果てしない物語」、ネバーエンディングストーリーの原作なわけですが
あれも子供の頃わくわくしながら読んだ思い出があります。
今のハリポタみたいな感じかしら、もうちょっと骨太だけど。
話は戻ってモモ、「時間泥棒」っていう概念が子供心ながら面白かった。
勝手にモモのビジュアルイメージを頭の中で思い描きながら読んでました。 - bashi 2006-08-19 (土) 17:53
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うお、ここにもキッズ時代ファンが。ほんとにみんな知ってるんだなぁ。
コメントありがとうです。> akko
さすが文学少女。わかっちゃいるんだけど、なんか、こう、先見て焦っちゃうんだよなあ。> チハイロ
あなたもですか(笑
え、ネバーエンディング?ってエンデさんなんだ!いいこと聞いた!