当たり前の業務を当たり前にこなす難しさ
posted @ February 16, 2005 04:21 PM
category: life
いわゆる実力主義の人事評価は、データセンター保守とか受託開発業務のように「無事平穏に終わった場合が最大の効果」という役割に対する適切な評価はできているのだろうか?
(略)
新規のなにがしかを評価するのは大事だが、当たり前の業務を当たり前のようにこなすことの重要性は、往々にしてその人たちがいなくなってから実感することになる。
非常に共感できるエントリーでした。
私の会社でも一応「実力主義」の人事評価制度を導入しているのですが、評価の時期になるといつも疑問に思います。
例えば、保守業務など「当たり前」な仕事をノーミスでこなした場合と、新しいアイデアをプロジェクト化するなど「見た目が派手」な仕事をした場合、ちゃんと公平に評価されるのか、そもそも公平な評価なんて可能なのか、と。(実際、「あちらを立てればこちらが立たず」状態で、結局は全員ほぼ同じ評価、という事態になっています。それでいいのか?)
当たり前の仕事を当たり前にこなすのは、とても難しいし、正直あまり楽しいことではありません。だから、「こんな新しいこと始めました!(すごいでしょ?)」と嬉しそうにアピールする人たちには「それは私たちが通常業務をこなしてるからできたことでしょ?わかってる?」と一言いいたくなる。
まぁ、半分嫉妬ですけど、そのへんの不公平感はどうしても拭えないわけです。「イヤなら異動願いを出すなり、転職なりすればいい」という意見もあるでしょうが、問題は会社の大多数の人間がそのような立場にいる(かもしれない)、ということだと思います。
事業が停滞しないためには、当然新しいアイデアは必要で、それに対してしかるべき評価はされなければならないけど、「通常業務」をこなす大多数の人間に対しても、納得のいく評価が行わなければ、事業の基盤が崩れていく危険があるんじゃないでしょうか。
まぁ、経営する側は当然そのへんの問題点は認識しているはずだし、そこが「人事」の一番難しいところなんでしょうけど。
何か新しいことを創造するのは「実力」が必要だけど、黙々と保守業務をこなすのもある種の「実力」がないとできないわけで、「実力主義」と銘打つのであれば、そこらへんも正当に評価してもらいたい。と、思いつつ保守業務を淡々とこなす僕なのでした。
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